琉球古典音楽野村流保存会とは

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野村流保存会の名称由来等

琉球古典音楽野村流保存会(以下、本会)の名前の由来は、
琉球王朝時代にさかのぼる音楽譜・工工四(くんくんしー)を
高弟らとともに現在広く普及している教本の形に細密化した
俊才野村安趙 (のむらあんちょう)を祖とする所に辿ります。
安趙らが改良した工工四は時の王に採用されたため「欽定
工工四」「御拝領工工四」とも呼ばれ、本会はこのような
歴史と伝統ある音楽を後世に正しく保存、継承すべく
一九五五年(昭和三十年)に「野村流保存会」の名称で
初代会長・屋嘉宗勝のもと三線百十名、箏曲三十名の会員で
発足しました。
その後、歴代役員及び会員らが結束しながら
研鑽を積み、「和衷の精神」を基礎とする会運営のもと
県内外に支部を設け、また現在では笛・胡弓部門も生まれ
会員数約千六百名を数えるところとなりました。

  

県民の共有財産である
古典音楽・三線

そして今、古典音楽は人々の心に和みと貴(とうと)さを
もたらすものだという、創立に関わった先達たちの強い確信と
誇りは多くの師匠らに受け継がれながら、様々な試練の時も
ウチナーンチュ(沖縄県民)の心と暮らしに慰めと癒しを与え、
新しい時代において技量等さらに研ぎ澄まされようとしています。
本会はこれからもこの島の先人が生み、守り残してきた沖縄の宝、
県民の共有財産である古典音楽のさらなる継承と発展を通じて
青少年の健全育成をはじめ、すべての人々の心の安寧のために
会員一丸となって力を尽くして参ります。

~ 本会の目的・会員心得 ~

琉球古典音楽野村流の
保存・継承・沖縄の音楽文化の向上・会員の親睦

琉球古典音楽野村流保存会

主な沿革

2016年(平成28年)
5月
中部支部を中部北支部と中部南支部に発展分割
2014年(平成26年)
1月
会名を琉球古典音楽野村流保存会に改称
2011年(平成23年)
5月
九州支部結成
2008年(平成20年)
2月
宮古島支部結成
1994年(平成6年)
12月
早弾楽譜作成委員会発足
1992年(平成4年)
8月
三箏会発足
1987年(昭和62年)
1月
組踊地謡研修部会発足
1983年(昭和58年)
5月
宮古支部創立総会
1982年(昭和57年)
12月
5月
南部支部創立並びに公演
那覇支部創立総会
1981年(昭和56年)
10月
北部支部結成
1979年(昭和54年)
6月
第1回師範・教師研修会
1978年(昭和53年)
3月
関東支部結成
1975年(昭和50年)
4月
久米島支部結成
1973年(昭和48年)
4月
関西支部結成
1964年(昭和39年)
7月
伊江支部結成
1961年(昭和36年)
2月
八重山支部結成
1958年(昭和33年)
5月
中部支部結成
1957年(昭和32年)
1月
箏曲保存会の独立
1956年(昭和31年)
10月
赤犬子(アカインク)の記念碑建立
1955年(昭和30年)
12月
6月
工工四全巻発行する
(12日)野村流保存会結成会(参加者:三線110名、箏30名)

歴代琉球音楽研究家系譜

歴代琉球音楽研究家系譜
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